町が歩んできた歴史をコラムでご紹介
甲陽園駅前の写真館 生田富人さんにお話をお聞きしました
目神山の道がまだ舗装されていない1938年頃
今のやまびこ北通りから13番坂 川沿いの西通りから2番坂の辺りをコースに、
自動車とオートバイのモーターレースが行われたそうです
写真があるのですから本当のことです
北通りにしろ南の外周通りにしろ結構広い道ですが、
未舗装ですから雨が降ったら幾筋もの溝が出来て、
歩くのにも苦労したほどですから、きっとスリリングなレースになったことでしょうね
これも、遊園地や映画撮影所、大劇場に料理旅館や温泉まで揃った、
人気の甲陽園だからこそのことだったのでしょう
※上の画像は、大正時代の甲陽園の風景(甲陽公園子孫池付近)を描いた絵葉書
(画像ご提供:西宮市 情報公開課)
西宮市郷土資料館の前の館長 合田茂伸さんに聞いたお話です
目神山町の東の端の辺りに、平たくて大きな石が道端にあります
5×4mくらいある石で、縦横に線を引いたようにノミで開けた穴が並んでいます。
目神山は大坂城築城の石を切り出すところだったので、これを「刻印石」だという人もいますが、
本当は石を切り出していた職人たちが「ここは石切り場です」という意味で、
作業場の看板代わりに刻んだものだと思われます
これだけ大きな石ですから、使える物なら切り出していったはずです
石の上の面は大きいのですが、深さ(石の厚み)が足りなかったのかも…
亀が寝ているような姿に見えるので「亀石」「亀甲石」と呼ばれています
昔から甲陽園の写真にはよく登場しています
甲陽園の代表的な風景の一つなのでしょうね
※上の写真は、今も残る山間の巨石群
(写真ご提供 : 田中賢治さん)